べっぴんさん あらすじ ネタバレ 第20週
「旅立ちの時」
2月13日月曜日からの放送は...。
1962(昭和37)年8月、さくら(井頭愛海)は東京の美術大学の受験のための絵画の勉強に専念。 健太郎(古川雄輝)は自宅からの京都大学進学という家族からの期待に反して、東京大学進学を秘かに志望。
そして、龍一(森永悠希)は冒険旅行への憧れ...。
しかし、父・勝二(田中要次)からの猛反対。 龍一は再三の説得を試みるも、膠着状態のまま...。
そこへ、意外にも坂東家執事・忠一郎(曽我廼家文童)が現われて、勝二を説得。 折しも、初恋相手である同家女中頭・喜代(宮田圭子)との二人旅による余生の喜びあってか、人生は冒険旅行と語りきかせることに...。
勝二と良子(百田夏菜子)は龍一の夢を認めることになった。
事情を知ったすみれ(芳根京子)と紀夫(永山絢斗)も、忠一郎と喜代の決断を快諾する。
一方、武(中島広稀)はすみれから、大急百貨店事務職のOL・たみ子との縁談を持ちかけられた。 しかし、かねてからの明美(谷村美月)への恋心を断ちきれないまま...。
かつての住み込み下働き当時は呆気なく断られたものの、今や部長として貫録づいたことあって、改めて求婚。
しかし、仕事に一生を捧げる心積もりの明美からの姿勢は変わらず、再び断られてしまった。
結局、武は失意のまま、見合いへ。 しかし、同席したすみれと紀夫と明美の応援はじめ、同じ大分県出身者ならではのよしみが功を奏したこともあり、たみ子との交際が始まった。
前後して、栄輔(松下優也)はエイス東京移転を検討していた。
ほぼ同じ頃、健太郎は東京大学進学希望を両親に初めて打ち明ける。
幼少より溺愛してきた祖母・琴子(いしのようこ)の難色はいくらかあったものの、健太郎からの初めての意志表示としての切々かつ確固たる意志ゆえ、ようやく認められることに。
そして、さくらから自分のことのように祝福された喜びあって、健太郎はかねてからの恋心を告白。
ただ、さくらからは友達としての好意の告白。 それでも二人は、仲睦まじい関係へ...。
1963(昭和38)年3月、さくらと健太郎は、それぞれの志望大学に合格。
ほぼ同じく、武とたみ子の婚約決定。 忠一郎と喜代、そして龍一、それぞれの旅立ちの日真近。
ほどなく、ジャズ喫茶ヨーソローにて、それぞれの出発を祝うパーティーが開催。
4月の桜の開花...。
さくらと健太郎は東京へ。 忠一郎と喜代は二人旅へ。 龍一は冒険旅行へ。
そして、すみれと紀夫だけの新生活の始まり...。
この年における、これまでの所縁ある人たちの、それぞれの出発または旅立ち...。
まさに「人生は冒険旅行」といったところ???
中でも、この時の龍一の冒険旅行となれば、海洋冒険家・堀江謙一が去る年1962(昭和37)年5月に西宮出港、約3ヶ月かけてのヨット「マーメイド号」でのアメリカ・サンフランシスコ到着、といった太平洋単独横断成功のニュースに触発されたからかなあ。
何よりも、両親からの反対、これまで流行や真新しいものだけに振り回されるだけで、軸足の定まらなかったゆえの将来への懸念あってのことだったんだろうなあ。
現に、かの航海中のできごとなどをまとめた手記であり、かの年1962(昭和37)年の文藝春秋出版とともにベストセラーとなった『太平洋ひとりぼっち』で脚光を浴びる直前までは、ヨットでの日本出国を認められていなかった当時の事情あって、密出国者扱いだったとか...。
英雄へ評価大逆転となったきっかけは、当時のサンフランシスコ市長からの粋な名言「コロンブスもパスポートを省略した」から...。
そして、同年の菊池寛賞の受賞...。
それから50年後に当時の活動内容を振り返った2012(平成24)年7月発売の『波涛を越えて 堀江謙一をめぐる半世紀』(土田憲/言視舎)。
海洋冒険家はどのように誕生し、その活動はどのようにサポートされたのかが克明に...。
手に汗握る航行、各国マスコミとの対応など世界をまたにかけるPR活動の実際のありのままが...。
それぞれに目を通してみるか...。
もちろん、当時の翌年にあたる1963(昭和38)年10月下旬より公開された石原プロモーション映画製作第一回作品、すなわち市川崑監督・石原裕次郎主演映画『太平洋ひとりぼっち』も...。
当時設立間もない円谷プロダクションが初めて本格的に特撮を手掛けた作品でもあって、石原裕次郎主演作品では初のキネマ旬報ベストテン入賞作品に...。
かの龍一の容姿と一挙手一投足は、当時の日活映画の大スターだった若き石原裕次郎を意識していたのかもしれない???
2017-01-20 |
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