あさが来た あらすじ ネタバレ 第13週
「東京物語」
12月21日月曜日からの放送より、東京への本格的な視野の広まりの第一歩が...。
1878(明治11)年の春、五代友厚(ディーン・フジオカ)が、新次郎(玉木宏)を寄合所に呼び出しての、あさ(波瑠)を東京へ連れて行きたいとの申し出からほどなく、商法会議所を新たに設置すべく、大阪と東京を往復する日々。
申し出を受けたあさは、愛娘・千代を残して東京へ行くことを躊躇し、友厚に断りを入れるべきか悩むばかり。
見かねた新次郎は、千代を理由に悩まないで、東京へ行ってこいと励ます。
あさは東京行を決断し、千代も連れ出そうとするも、姑・よの(風吹ジュン)から子育てを引き受けるとの申し出が...。
仕事への専念を後押しされて気持ちを新たにしたあさは、付き人・うめ(友近)とともに出立することになった。
同時に、あさがこれまで関わってきた北九州の炭鉱には、新次郎の弟・榮三郎(桐山照史)が向かうことに。
長い旅の末に、あさとうめのたどり着いたのは、東京・築地の友厚の事務所。 友厚の紹介で内務卿・大久保利通(柏原収史)との初対面となったあさは、唐突に大阪と友厚のことを頼むと頭を下げられて、不思議な気持ちになって...。
大阪では、女中・ふゆ(清原果耶)が、あさと友厚の関係に気が気でない新次郎を切なげに見つめる日々。
その様子から、ふゆに想いを寄せる中番頭・亀助(三宅弘城)が、すべてを察してしまう。
ほどなく、あさは弟・忠嗣(興津正太郎)との待ち合わせ場所へ出向くものの、現われたのは、父・忠興(升毅)。
忠興は、嫁の務めを果たさないまま上京したあさを詰るが、あさは『学問のすゝめ』を出して説得を試みての応酬。
結局、物別れに終わったものの、その一部始終を耳にしていた『学問のすゝめ』を執筆した教育者・福沢諭吉(武田鉄矢)が、あさを訪ねてきた。
これまでのいきさつを打ち明けるあさに感心した諭吉は、社長を目指せと励ます。
感動したあさは改めて忠興との時間をかけた話し合いへ。 ついに忠興はあさを一人の実業家として認めることになった。
数日を経て、あさとうめが帰阪支度を終えようとした矢先の、1878(明治11)年5月14日、大久保利通が急進的な改革に激しく反発する不平士族たちに暗殺されるとの知らせが...。
あさは、利通と近い立場にある友厚の身を案じて、東京に一人残る旨をうめに伝えるなり帰阪させて、友厚の元へ駆けつける。
大阪では、ふゆの縁談話。 落胆する亀助を見かねて、新次郎が励ます。
自身の気持ちをふゆに伝えなければ、この先ずっと後悔するだろうと...。
そして、新次郎は亀助を飲みに連れ出して、互いに思うことを打ち明ける。それでも、しばしば気がかりなのは、あさのこと。
肝心のあさは、悲観にくれる友厚に、亡き利通に代わって心の友になることを告白。
しかし、初めて口にしたウイスキーのほろ酔いの深まったあさは、友厚の熱弁を子守唄代わりにそのまま眠ってしまった。
翌朝、目を覚ましたあさの前には、うめが鬼の形相...。
即座にあさはうめに連れられて、大阪へ戻ることになった。
さかのぼること、1872(明治5)年2月からか...。
あさが父・忠興への説得に用いた「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という惹句で知られる『学問のすゝめ』の初編の広まったのは...。
福沢諭吉がその言葉に賭したのは、人間の平等ではなく、知性と行動力を兼ね備えた「個人の自立」。
改めて、現代に解かりやすい文章として、2012(平成24)年3月22日木曜日発売の『NHK 100分de名著 ブックス 福沢諭吉 学問のすゝめ』(齋藤孝/NHK出版)、改めて目を通してみたくなった。
明治維新のような未曾有の転換期に書かれた、危機の時代の心得、なかなかのもの。
そして、あさと友厚で飲み明かすことになるウイスキー...。
当時を意識するならば、スコットランドで最も小さく最も古い蒸留所の一つであるグレンタレット蒸留所の【ウイスキー シングルモルト スコッチ グレンタレット 10年 40% 700ml】のような味わい深さかなあ。
余談ながら、あの2014(平成26)年9月29日月曜日より放送のNHK朝ドラ『マッサン』の主人公のモデルとなる「日本のウイスキーの父」こと竹鶴政孝氏が、鳥井信治郎氏に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮することになるのは、1929(昭和4)年のこと。
この第13週での大人への階段を上りつつある学びと楽しみ、いつまでも大切にしたいもの。
2015-11-15 |
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