まれ 朝ドラ キャスト 田中泯
これは面白くなりそう。
2015(平成27)年3月30日月曜日より放送開始となるNHK朝ドラ『まれ』の出演者発表が、9月8日月曜日に行われて以来、ヒロイン・津村希を演じる土屋太鳳を強く後押しする登場人物が...。
いわゆる第一の"トメ"が、石川県能登地方の輪島市近郊において代々塩作りをしている塩田職人で、ヒロイン一家と本当の家族のように絆を深める桶作文(ふみ)演じる田中裕子ならば、第二の"トメ"は文の夫・元治を演じる田中泯と言っても過言じゃないかなあ。
文同様、時に毒舌家でもあるが、心根は親切で優しく津村一家を見守っている存在として、いかに魅せてくれるのかが、本当に気になるところ。
土屋太鳳にとっての直接共演といえば、この時公開中で、あの巻町操役で出演した大友啓史監督の映画『るろうに剣心』、すなわち8月1日金曜日より公開の第2弾『京都大火編伝』と9月13日土曜日より公開の第3弾『伝説の最期編』以来か...。
田中泯演じたのは、操の育ての親である京都探索方・翁こと柏崎念至。
御庭番衆最恐と呼ばれ、普段のおおらかな顔の裏には、歴戦の忍らしい恐るべき残忍性・戦闘力を隠し持つ役どころだった。
それは、映画初出演作品かつ第48回キネマ旬報賞新人男優賞と第26回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞・新人俳優賞を受賞することとなった、2002(平成14)年11月より公開の山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』で演じた、鬼気迫る剣の使い手・余吾善右衛門を彷彿とさせるものでもあって....。
全体像を想像するためにも、あえて2012(平成24)年8月25日土曜日より公開の第1弾から、改めて鑑賞しようかなあ。
田中泯と土屋太鳳、それぞれのノースタントによる生身のアクション、凄まじかった。
ただ、お恥ずかしいことに、田中泯がダンサーから長きにわたって上り詰めたことを知ったのは、数年前のこと。
かねてからも現在においても、田中泯自身、表現行為そのものをジャンル分けすることに関して同意してはおらず、舞踏家や俳優と肩書きがつくのを「間違い」「誤解」とみなしており...。
土屋太鳳からすれば、先の『るろうに剣心』以上に、貴重な直接共演となるのかもしれない。
大先輩たる俳優として、というよりも、3歳より習い続けている日本舞踊はじめ、クラシックバレエ、ヒップホップダンス、三味線、篠笛、小太鼓、ピアノ演奏、といったあらゆる舞踊や舞踏に親しみ、2013(平成25)年4月より日本女子体育大学体育学部運動科学科舞踊学専攻に入学していることあって、舞踏家としてダンサーとして、良き飛躍を遂げるために触発させてくれる相手として、ますます気になってしまうもの。
田中泯を振り返ってみたくなった。
1945(昭和20)年の東京生まれ。
1963(昭和38)年に東京都立武蔵高等学校卒業後、東京教育大学に入学したものの、かねてよりクラシック・バレエを学び、さらにモダンダンスへと学びを深めたことあって、1965(昭和40)年に中退。
1966(昭和41)年からソロダンス活動開始。
特に1970年代、独自の踊り、すなわち「ハイパーダンス」と称した踊りは、ゆるやかで微細な動きで身体の潜在性を掘り起こすパフォーマンスとし、ダンスをはるかに越えて、新しい芸術表現として衝撃をもたらしたという。
当時は、松岡正剛が設立した出版社工作舎の活動にも多く関わっていたとのこと。
海外での最初のデビューとしては1977(昭和52)年、パリ秋季芸術祭「日本の間」展に招待参加(磯崎新・武満徹プロデュース、ルーブル装飾美術館)。
1979(昭和54)年には舞踊批評家協会賞受賞。
1982(昭和58)年には西ドイツ・ミュンヘン演劇祭最優秀パフォーマンス賞受賞して、1990(平成2)年 フランス政府より芸術文化騎士章を受勲するまでに。
前後して1978(昭和53)年に身体気象研究所を創設し、1981(昭和56)年には舞踊団「舞塾(まいじゅく)」を結成[解散は1997(平成9)年]。
1985(昭和60)年には山梨県白州町(現・北杜市)に身体気象農場を開設して、山梨県を拠点に自然農法による農作業を続け、農業とともにある身体性を真剣に追求していくようになって...。
1995(平成7)年には、舞踊批評家協会賞、サントリー地域文化賞受賞。
山梨県白州町に舞踊資源研究所/花水を設立。
1997(平成9)年 山梨県敷島町(現・甲斐市)にて舞踊資源研究所/本村設立。
国際共同制作シリーズを、日本で6作上演。
2000(平成12)年 「桃花村舞踊団」[解散2010(平成22)年]および、共同生活を共にする若者で組織された「農事組合法人桃花村」を同時に設立。[解散2011(平成23)年]。
2001(平成13)年に日本現代藝術振興賞受賞。
2006(平成18)年に、前年2005(平成17)年独舞作品[赤光]と[透体脱落]により朝日舞台芸術賞を受賞し、同時にキリンダンスサポートをダブル受賞。
これまでの自身の舞踊団での公演の多くの発表を通して、現在では「場踊り」と称し、一貫したダンスへの取り組みは通底して変わらず継続しているという。
かの映画『たそがれ清兵衛』以降は、テレビドラマへの出演、ナレーションを行うことも。
数年前に本来の田中泯の姿を知ることになったのは以下の3冊。
初めての写真集である2007(平成19)年3月発売の田中泯写真集『海やまのあひだ』 (工作舎)、
2011(平成23)年9月の「私は地を這う前衛である」と綴ったダンサーの日々の手記を基にした初のエッセイ集『僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論』(工作舎)、
そして2013(平成25)年7月発売の総合雑誌『遊』創刊者・松岡正剛との共著『意身伝心 コトバとカラダのお作法』(春秋社)。
なかなか奥が深かった。
この度の『まれ』での共演を通して、ヒロイン・土屋太鳳が、いかに意識することになるのか....。
いずれにせよ、連続テレビ小説初出演の田中泯と、あの1983(昭和58)年放送の伝説の朝ドラ『おしん』のヒロインだった田中裕子による、"田中"コンビ演じる桶作夫妻...。
かなり魅せてくれそうな予感...。
2014-09-14 |
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