ごちそうさん あらすじ ネタバレ 第20週
「私の大豆な男の子」
2月17日月曜日より放送。
1944(昭和19)年、悠太郎(東出昌大)は、空襲に備えた建物疎開という住居取り壊しの担当に。
巷では、徴兵される前に結婚する若者が増えつつある日々。
西門家でも、静(宮崎美子)がふ久(松浦雅)に縁談を持ち込んだ。
め以子(杏)は恋愛に興味のなさそうなふ久を心配。
そこへ、泰介(菅田将暉)と同じ野球部の諸岡(中山義紘)が徴兵検査を終えて、最後の挨拶のため訪問。
やがて挨拶を終えてしばらくの他愛ない話の後に去ろうとした諸岡だったが、ふ久が突然「諸岡君を複製したい、諸岡君の子どもを産みたい」と宣言して、皆が困惑。
結婚しなくても子どもさえ産めればいいというふ久に悠太郎が猛反対したことあって、結局のところ、ふ久を不幸にしてしまう結婚はできないことを理由に、諸岡は断った。
ただ、め以子にすれば、ふ久が初めて他人に興味を持ち恋心を抱くようになったことを内心喜び、陰ながら応援したい気持ちにかられてしまうものの、時勢が時勢だけに葛藤。
幸か不幸か、ふ久は一度思い立ったら、他人の忠告を聞かずに邁進するだけで、諸岡の自宅に夜這いしてしまうほどの勢い。
それを密かに知った泰介は、ふ久を止めたが、ふ久からの諸岡に対する複雑な乙女心と純粋な想いの告白に感動することに。
泰介から話を聞かされた悠太郎も、娘の幸せのために、諸岡家へ改めて結婚のお願いに出向くことを決意。
そして出向いた諸岡家にて、両親は涙ながらにふ久の申し出を喜んだ。
ふ久はそのまま諸岡家預かりに。
一方、軍需工場で働き始めて以来、元気のないの活男(西畑大吾)には、転機が...。
海軍の本格的な料理に魅せられたことで、軍隊への入隊の志願を家族に打ち明けた。
海軍に入隊したからといって、必ず料理人になれるという保証はないと反対するめ以子だったが、軍に入隊しなくても空襲で命を落とす危険を理由に、悠太郎は活男の意志を尊重することに。
その矢先、活男の軍需工場で事故発生、活男の友人が犠牲に。
衝撃で塞ぎ込んでしまう活男の様子に、め以子は深く傷ついた。
これ以上やりたくないことを続けるくらいなら、好きなことをして死にたいとという活男の告白を受けて、活男の意志を尊重したいという悠太郎に対し、め以子は活男に自由に料理のできるようにすることで翻意させようと、ある作戦に...。
やがて西門家でのふ久の内祝いの日、活男が創意の凝らした数々の料理を前に、久々の一家での穏やかで幸せな時間が...。
その時間も束の間、料理を美味しく口にした諸岡の涙で、活男は「兵隊さんの『ごちそうさん』になりたい」という決意を改めて口にした。
め以子はついに、活男の強い意志を前に同意。 戦いの最前線に行くのではなく、確実に料理人になってもらうためとして。
早速、大五(原田泰造)に助けを求めることとなっため以子は、活男に大人数用の食事を作る訓練を開始。
め以子に迷いはなかった。 最後まで活男に心を尽くそうとする心積もり。
日々は流れて、「うま介」での送別会を経て...。
そして活男の旅立つ当日。
め以子と活男は、最後の朝食作り。
最後の朝食を摂り終えて、いよいよ出発。
兵隊さんからの「ごちそうさん」をいっぱい聞いてくるよう活男に伝えて送り出す、め以子の表情は切実。
活男は、「おかあちゃん、ごちそうさんでした」と、笑顔で返して旅立っていった。
第17週から心の痛い展開の続く中、ふ久の行動には、不謹慎ながらも心躍ってしまった。
女性から夜這いを仕掛けるとは...。
西門ふ久を演じた松浦雅。
これがテレビドラマ初出演、なかなかのもの。
芸能界入りのきっかけは、2012(平成24)年6月10日日曜日に開催された第1回JUNONプロデュース ガールズコンテストにて全国7,533人の応募者の中から初代グランプリを受賞より。
初舞台は、昨年2013(平成25)年7月、『西原理恵子 演劇祭 2013!!』の2作品から。 続けて舞台4作品にも出演。
そして今年2014年(平成26)年1月27日月曜日より放送のNHK朝ドラ『ごちそうさん』第17週以降...。
当初の目的はヒロイン・め以子の同級生役だったものの、年齢が合わず落選。
それでも、幸運にもプロデューサーの目に留まり、め以子の娘・ふ久役に...。
一方、ふ久の突飛な言動と同じく気になったのは、西畑大吾演じる次男・活男の海軍志望...。
たしかに、あの時代の男の子の多くは、「海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と英雄視された東郷平八郎元帥海軍大将のような偉人への憧れを、強く抱いてしまうもの。
よりさかのぼること、好む好まざる関係なしに、あの1904(明治37)年の日露戦争での奇跡の逆転勝利に至るまでの前後のいきさつ、当時のロシア帝国の貪欲な拡張主義による周辺諸国の脅威、満州占領後のさらなる南下の脅威に晒される極東の小国・日本の窮地を打開しただけに...。
かの日露戦争勃発当時、おもに農家出身の兵士たちに白米を食べさせることとなった大日本帝国海軍横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用。
1908(明治41)年には、舞鶴海兵団により、軍隊食調理人のための教科書『海軍割烹術参考書』が発行...。
以後の海軍レシピの工夫と改良の積み重ねと、戦時中の荒波のかいくぐりといった長年の道のりを経て...。
1999(平成11)年...。
かの海軍カレーを採用した横須賀鎮守府が置かれ、現在も海上自衛隊の基地が置かれている神奈川県横須賀市による「カレーの街」宣言。
近くの横須賀市小川町にある『横須賀海軍酒保』からの【東郷ビール 330ml×24本】とともに...。
【よこすか海軍カレー ネイビーブルー】で偉大さを噛みしめながらも...。
いかなる時代であれ、心はいつでも自分にふさわしい生き方を求めて、実現に導く人か...。
ある意味、羨ましいもの。
2014-01-30 |
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