剱岳 点の記 映画 木村大作
先月10月中旬の北アルプス南部にある山小屋での小屋閉め作業を終えて、ほぼ半月が経過したものの、久方ぶりの登山だったからか、未だ余韻の残る日々の続いてばかり。
いくらか空き時間ができて、改めて観たくなった。
2009(平成21)年6月下旬に公開された映画『剱岳 点の記』を。
原作は、新田次郎晩年の1977(昭和52)年の作品。
文藝春秋の担当者が収集したおびただしい資料をもとに、筆者が60歳を超える身体ながらも、登頂を含む現地ルポを行ってまとめたもの。
当然、映画化の実現までには、かなりの歳月が...。
物語の時代は1907(明治39)年。
陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)の測量官・柴崎芳太郎(浅野忠信)に、未踏峰とされてきた剱岳への登頂と測量の命令が...。
それは日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極める任務。
特に、立山山麓に位置する集落・芦峅寺の総代として、曼荼羅図を使って巡礼者に立山修験道を説く佐伯永丸(井川比佐志)や、過酷な修行を続け山と共に生きる行者(夏八木勲)の存在。
山岳信仰から剱岳を畏怖し御二方を尊敬する地元住民の反発は大きく、受け入れまでの紆余曲折を要することに。
やがて、幼少から長きにわたり山に通じている宇治長次郎(香川照之)はじめ、他の山案内人とともに測量に挑んだ男たちは、ガレ場だらけの切り立った尾根と悪天候・雪崩などの厳しい自然環境、小島烏水(仲村トオル)率いる日本山岳会との登頂争い、未発達な測量技術と登山装備などの、さまざまな困難と戦いながら測量を続けてゆく。
監督は、あの1977(昭和52)年公開の映画『八甲田山』をはじめとする数多くの日本映画のカメラマンとして活動してきた、木村大作。
すなわち初監督作品。
撮影は、2007(平成19)年4月から開始、2008(平成20)年8月まで延べ200日以上を要して、同年末に完成。
撮影にあたり、登場人物の感情を大切にするため、芝居部分は原則として順撮りで。
東京パートや山麓パートの撮影は、愛知県の明治村や富山県の上市町・富山市・立山町で地域住民の協力のもとでのロケ撮影。
特に、山岳測量のシーンでは、「これは撮影ではなく『行』である」、「厳しい中にしか美しさはない」、「誰かが行かなければ道はできない」が、基本方針。
明治の測量官の目線や感覚を大切にするため、空撮やCG処理に頼らず、多賀谷治氏をはじめとする立山ガイドの支援のもと、積雪期には体感温度が氷点下40度にも達する立山連峰や剱岳で、山小屋やテントに泊まりこみながら、明治の測量官が登った山に実際に登ることで、当時の足跡を再現するなど、長期間をかけ丁寧に撮影を敢行したという。
まさに素晴らしい仕上がり。
さまざまな悪条件を克服しながら、地道に作業をこなしてきた明治の人たちの手によって、現在のこの社会があることを察すれば、背筋が伸びる思い。
それゆえ、映画化にあたって、制作スタッフや演技派の俳優陣すべての力量に加えて、厳しい自然環境における常に"本物"を追求する姿勢は、多くの人たちに大いなる感動を呼び起こすもの。
木村大作監督作品は、これ1作のみにとどまらない予感が...。
2013-11-07 |
共通テーマ:日記・雑感 |
nice!(0) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0