デールカーネギー 人を動かす 矢沢永吉
時折考えさせられるよなあ。
今から振り返れば、小学校からの長きにわたる集団生活でも、学生生活を経て実社会へ飛び出した後でも、否応なしに、
「人を動かす」
という必要性に直面させられる。
あらゆる最新情報の錯綜、
人間関係の希薄化、
自身の想いを相手へ伝えにくいもどかしさ、
それらにまつわる混沌とした気持ちが、ありとあらゆる「ハウツー本」に依存したくなる傾向を強めてしまうものかもしれない。
しかし、それでも、
人間関係の古典として、ありとあらゆる自己啓発本の原点との定評のある、1937(昭和12)年初版発行のデール・カーネギーの名著『人を動かす』の功績は大きい。
この名著を初めて知ったのは、お恥ずかしながらも、学生時代のミーハー心からの気まぐれで購入することとなった、1978(昭和53)年のベストセラー『矢沢永吉激論集 成りあがり』(矢沢永吉/角川文庫)の文面から。
1945(昭和20)年8月6日の広島への原子爆弾投下と敗戦の後遺症の強く残る広島県の生まれで、複雑な家庭事情ゆえの貧困からの生き残りに必死だったんだろうなあ、高校1年生の16歳当時ですでに、大人の気持ちを喜ばせることに長けていたという。
それが功を奏して、アルバイト先の社長から気に入られて、名著を贈られたとか。
その『成りあがり』を一気に読み終えて、その勢いのまま購入。
読み終えた感想としては、まあ確かにあれも言える、これも言える、という実感を強くさせるだけだった。
その上で、実社会での人対人という関わり合いにおいて、思い通りにいかずに悶々とすることで、読み返すことの繰り返し。
自身の経験してきたことと置かれている状況の考察、そして自身の工夫を加えての実践で、少しずつ感度を上昇させていったことを、思い出した。
あれから、長い歳月を経て、
かの名著を読み終えた後の自分としては、七転び八起きを繰り返すとこでの日常生活。
ふと、1999(平成11)年10月31日発売の『人を動かす 新装版』(著者:デール・カーネギー・編集:山口博・出版:創元社)が目に入った。
確か1980年代、時代に沿った形への改訂としての内容。
折しも、なじみの親戚の甥が大学に入学したこととあって、お祝いとしての贈りもののために、改めて購入。
汚すことのないように拾い読みして、改めて実感したことは、
いかに名著であっても、決して人生論・人格論を記しておらず、より多くの人たちとより広く関わってゆく上での「社交術」に過ぎないということ。
それを念頭に置かないまま、家族、友人、知人、上司、部下などとの関わり合いを通して、著書に記されている技術を鵜呑みにして実践してしまうと、本音で語り合えない、心の通い合わない、といった居心地の悪さだけが、強まってしまうもの。
それでも仕事の関係上、好む好まざる関係なしに、さほど親密でない人、考えがあまりにも違う人、周囲を不愉快にさせる言動の目立つ人など、否応なく関わらなければならない場合、著書の社交的な技術を通して、平和的な人間関係に。
特に、相手への注意を促す必要に直面させられた場合には、有効。
逆に、長きにわたる親友としての相手に対しては、要注意。
心にもない表面だけのお世辞が多かったり、回りくどい言い回しの技術だけだったら、ふと相手に感づかれてしまった場合、全くの効果はない。
むしろ面の皮の厚い策略のある人間とみなされて、不信感が募るだけ。
本来の理想的な人間関係とは、小手先の技術を使うことではなく、人格対人格で嘘偽りなく、正直に語り合うこと。
互いの悪口を多少言い合うことのあるものの、決して関係の断絶されることはなく、以前よりも微笑ましく陽気な雰囲気へと好転させてゆく。
いずれにせよ、一番明確に強調されていることは、「作為」はよくないということ。
相手に対する心からの賞賛でなければ、人間の心は動かせないよいうこと。
かの矢沢永吉も、かの名著を手にする前から、すでに実感していたんだろうなあ。
2013-05-15 |
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